大判例

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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)4872号 判決

原告

株式会社モリサワ

右代表者代表取締役

森沢嘉昭

右訴訟代理人弁護士

三宅正雄

田倉整

被告

株式会社エヌ・アイ・シー

右代表者代表取締役

小川恵久

右訴訟代理人弁護士

水島正明

主文

一  原告の請求はいずれもこれを棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  原、被告間において、原告が別紙(一)文字書体対比一覧表下段記裁の写真植字機用文字書体二四一一字について著作権を有することを確認する。

2  被告は、被告が販売するCG―NIC漢字情報処理電算写植システムに搭載された写真植字機用文字書体のうち、別紙(一)文字書体対比一覧表上段記載の二四一一字について、その搭載を止め、これを使用してはならない。

3  被告は、原告に対し、金一二〇五万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五八年九月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  この判決の第2、3項は、仮に執行することができる。

二  被告

主文第一、二同旨。

第二  当事者の主張

(原告の請求原因)

一  原告による書体の製作と営業

1 原告は、昭和四一年七月ころ、台湾等東南アジア向けの写真植字機用文字盤(以下「写植機用文字盤」という。)に搭載する文字すなわち別紙(一)文字書体対比一覧表(以下「別紙書体一覧表」という。)下段記載の二四一一文字を含む亜細亜中明朝体文字及び亜細亜太ゴシック体文字(合計約八四〇〇文字)につき、それぞれ統一性のある書体を完成した(以下、右文字を一括して「本件原字」といい、各個の文字を「本件各文字」という。また、右両書体を一括して「本件書体」といい、そのうち、中明朝体に関するものを「本件明朝体」、ゴシック体に関するものを「本件ゴシック体」という。)。なお、右書体製作の具体的作業は、原告の子会社である訴外モリサワ文研株式会社(以下「訴外モリサワ文研」という。)が、これを行った。

2 本件書体の特徴は、次のとおりである。なお、以下に、写研、モトヤ等とあるのは、同業他社の書体である。

(一) 本件明朝体について

この書体は、本文用明朝体として在来の活字書体の特徴を生かして写真植字機用書体(以下「写植用書体」という。)とした古典的な明朝書体である。

(1) 字体

アジアの漢字圏諸国でも使えるように当用漢字体のほかに従来の康熙字典体を加えたものであり、当用漢字の中でも比較的古い作り方をしたものが多い。

(2) 線率

横線一に対して縦線2.8の線率を基準とし、分類としては中明朝体に入る。

(3) デザイン

若干技術の未熟さもあり、文字の構成としてややバランスの悪いものも混在している。

例 吻 (偏とつくりの組合せが異常に深い)

紅 (偏とつくりのバランスが悪い)

陳 (申の左右が極端に違う)

猫 (中心が通っていない)

(4) 骨格の構成

(イ) 重心の高い文字と低い文字とが混在している。

例 防    ⇔幼

←(高い)  →(低い)

(ロ) 懐を広くとった文字と狭くとった文字が混在している。

例 雲    ⇔電

(広いもの)  (狭いもの)

(5) (エレメント)の表情

(イ) 点は鋭く、直線的で三角形を感じさせる。

(ロ) 左払いが鋭く、直線的

(ハ) 縦画の下のはねは鋭く、あごの部分がはっきりしている。

(6) 部分(エレメント)の組合せ

点、払い等のエレメントの組合せが他書体に比べて深い。

例 吻 落 秋

(二) 本件ゴシック体について

この書体は、主として小見出し等に用いるもので中ゴシック体の分類に入り、直線構成を生かした書体である。

(1) 字体

アジアの漢字圏諸国でも使えるように当用漢字体のほかに従来の康熙字典体を加えたものであり、当用漢字の中でも比較的古い作り方をしたものが多い。

(2) 線率

横線と縦線の比率は、一対1.1を基本として画数によって調整している。

(3) デザイン

全体としてバランスの悪い文字が混在している。

例 壽 (字幅の張り過ぎ)

囮 (大き過ぎ)

(4) 骨格の構成

全体に、重心はやや高め、懐は広めになっている。

(5) 部分(エレメント)の表情

点及び短い左右の払いは直線的である。

払い及びはねの先端部のカットは内側に丸く「クリ」が入っている。

3 原告は、本件原字を搭載した写植機用文字盤を写真植字機(以下「写植機」という。)に組み込んで販売しているが、右写植機用文字盤そのものを補充用として単独で販売することもある。

二  被告による書体の製作と営業

被告は、昭和五四年一〇月ころ、中華民国(台湾)の訴外華穏企業有限公司(以下「訴外華穏企業」という。)に対し、CG―NIC漢字情報処理電算写植システム(以下「被告システム」という。)に搭載すべき文字すなわち別紙書体一覧表上段記載の二四一一文字を含む明朝体文字及びゴシック体文字(合計一万六〇〇〇字)につき、書体の製作を依頼し、翌昭和五五年九月ころには、これを完成せしめた(以下、右文字を一括して「被告原字」といい、各個の文字を「被告文字」という。また、その書体を一括して「被告書体」といい、そのうち、明朝体に関するものを「被告明朝体」、ゴシック体に関するものを「被告ゴシック体」という。)。

被告は、(イ)右被告書体の文字を使用して文字フォントフィルムを製作し、写植機用の原字を得て、これをアメリカのコンピュ・グラフィック社(以下「CG社」という。)指定のマイラー台紙に貼付して訴外印刷機械貿易株式会社(以下「訴外印機貿易」という。)に引き渡し、訴外印機貿易を通じて右原字をCG社に送る、(ロ)CG社は、これをコンピュータ用にデジタル化して磁気ディスクに記憶させ訴外印機貿易へ送り返す、(ハ)訴外印機貿易は、右磁気ディスクを被告に引き渡すとともに文字フォントフィルムを被告に返還する、(ニ)被告は、右デジタル化された被告書体の原字を本件システムに搭載し、本件システムを訴外印機貿易を通じて販売する、(ホ)訴外印機貿易は、被告に対し、被告書体の文字一字につき五〇〇〇円の割合による金員を支払う、という形態の営業を行っている。

三  被告による著作権の侵害

被告は、右営業行為を行うことによって原告が取得した本件書体の著作権を侵害している。以下、これを敷衍して説明すると、次のとおりである。

1 被告書体の盗作性

原告が製作した本件書体の文字(約八四〇〇字)と被告が被告システムに搭載した被告書体の文字一万六〇〇〇字を対比してみると、少なくともそのうち別紙書体一覧表上段記載の被告書体の文字二四一一字(内訳、明朝体一二九二字、ゴシック体一一一九字。)が、原告が製作した同表下段記載の各対応文字の書体を機械的に複写し、その一部にわずかな修正を加えたものにすぎないことが明らかである(以下、これらの文字を「本訴対象文字」という。)。すなわち、

(一) まず、第一に注目されるのは、被告システムに搭載された一万六〇〇〇字の書体が、昭和五四年一〇月から昭和五五年九月までのわずか一年間に、しかも、文字職人を十数人しか擁していない訴外華穏企業の手によって作製されたという事実である。この事実は、被告書体が新たに創作されたものではなく、既存の書体の盗作であることを如実に物語るものであるということができる。なぜなら、原告が販売している写植機用文字盤は、文字書体の創作工程とそれを文字盤へ組み込む工程を経て完成されるものであるが、そのうち文字書体の創作工程だけを取り上げてみても、左記のとおり少なくとも四年の歳月を必要とするものであり、被告書体が正常な工程を経て新たに創作されたものであれば、わずか一年の間に完成されるということはあり得ないことだからである。

(1) 例えば、一書体約五五〇〇字につき一字ずつ、六〇ミリ×六〇ミリの方眼紙にデザイナーが創作する文字のイメージを描きながら文字の骨格を書き上げる。

(2) この文字の骨格に対し、各エレメント(はね、払い等)に統一性を持たせて、肉付けして文字の原形を書き上げる。

(3) 文字の原形ができると細い鉛筆で、文字画線の輪郭を定規等を用いて正確に書き上げる。

(4) このようにして書き上げた各文字は一字ずつ検査し不統一な文字は書き直しを行う。

(5) 合格した文字原形に製図用烏口や細筆で画線に墨を塗り、原字を完成させ、更に検査、書き直しを行う。

以上、一書体の文字が完成されるまでには少なくとも四か年を必要とする。

(二) そして、被告システムに搭載された文字(一万六〇〇〇字)のうち、本訴で問題にする前記二四一一字の被告書体は、原告が製作した同表下段記載の各対応文字の書体に全く同一といってよいほど似ているが、このように酷似した書体を手書きで仕上げることは不可能である。右被告書体の文字は、本件書体の文字を機械的手段によって複写したものであり、それ以外ではあり得ない。すなわち、右被告書体の文字は、原告の文字盤一覧表(甲第七号証)の「亜細亜中明朝体、亜AB1〜32」及び「亜細亜太ゴシック体、亜B1〜32」文字(これが本件書体の文字である。)を搭載した台湾等東南アジア向け写植機用文字盤を、写真用引伸機に差し込み、下面に印画紙を置いて所要の大きさ(例えば、六〇ミリ×六〇ミリ)に引き伸ばして原字を得、必要に応じてこれに墨入れ等のわずかな修正を加えたものにほかならない。

(三) 被告書体が右のごとく本件書体を機械的手段によって複写したものにほかならないことの何よりの証拠は、原告の昭和六〇年六月五日付報告書(甲第一二号証)によって明らかなように、たまたま本件書体の文字の中に字体(骨格)の誤った文字すなわち誤字があったところ、それがそのまま被告書体の文字の中に採り入れられていることである。すなわち、右にいう誤字とは、次の四文字のことであるが、これを順次、説明すると次のとおりである。なお、以下において、冒頭に掲げる文字の字体(骨格)は、最も古い漢字辞典である康煕字典に登載されているものである。

(1) 「墾」(明朝体)について

「墾」の字の上の上部左側の部分は、右のとおり「豸」となっているのが通例であり、被告が被告書体の製作を依頼するに当たり訴外華穏企業に手本として示したという辞典、新字源においても「豸」になっている。ところが、本件書体の文字は「墾」であり、「豸」になっているところ、被告書体の文字も「豸」になっている。

(2) 「懃」(ゴシック体)について

「懃」の字の左側下の横線は、右のとおり三本になっているのが通例であり、新字源においても三本になっている。ところが、本件書体の文字は「懃」であり、二本線になっているところ、被告書体の文字も二本線になっている。

(3) 「嚀」(ゴシック体)について

「嚀」の字の右側中央には、右のとおり「皿」が用いられるのが通例である。ところが、本件書体の文字は「嚀」であり、「」になっているところ、被告書体の文字も「」になっている。

(4) 「傲」(ゴシック体)について

「傲」の字の中央上部には、右のとおり「土」が用いられるのが通例であり、新字源においても「土」が用いられている。ところが、本件書体の文字は「傲」であり、「士」になっているところ、被告書体の文字も「士」になっている。

(四) また、右原告の報告書(甲第一二号証)によれば、本件書体の文字の中には、通常のものと対比すると、均衡のとれていない構成の文字が七〇字余り含まれていることも明らかである。前記の「吻」、「紅」、「陳」、「猫」等もその一部であるが、被告書体の文字の中には、これらの均衡のとれていない構成の文字が、そのままそっくり採り入れられている。これも複写の事実を裏付ける有力な証左である。

(五) さらに、右の事実は、訴外モリサワ文研が作成した文字書体の対比結果報告書(甲第八号証)や検証物(検甲第一ないし第一三号証の各一、二)によっても確認することができる。すなわち、それらは、いずれも本件書体の文字と被告書体の文字及び同業他社の同種書体の文字を、それぞれ同じ大きさに拡大して同じ条件の下で対比できるようにしたものであるが、そこにある本件書体の文字のポジフィルムを同業他社の文字の上に重ねても重なり合わないが、被告書体の文字の上に重ねるとピタリと重なり合うことによって、これを確認することができる。

2 本件書体の著作物性

(一) 文字の書体は、いうまでもなく文字そのものではない、いわば文字がまとう衣である。文字そのものは、人類が永年にわたって造りあげたものであり、万人共有の財産であるといえる。また文字の衣である書体にも、既に先人が造りあげた数多くの書体があることも事実であり、本件で問題になる明朝体やゴシック体も、その一つである。そして、明朝体は一般のタイプ書体にもみられる最も普通の書体であり、ゴシック体は見出し等に多く使用される書体であるが、いずれも時代とともに洗練され、見た目にも美しく読みやすいものになってきている。それは、文字書体の製作に携わる数多くの者の血のにじむような努力と創作活動のたまものである。そして、右のような実用的な文字書体についても、いまなお、数多くの書体製作者が、それぞれの用途に適したより美しくより読みやすい書体を創作すべく努めている。こうした創作活動の末に創り出される新たな書体は、まさに知的、文化的精神活動の所産にほかならならず、十分に著作物性を備えたものである。そして、このようにして製作された新たな書体は、創作者によってそれぞれ異なった特徴を備えており、他のものとは明瞭に区別されるから、これに著作権を認めても何ら不都合を生じることはない。もっとも、右のごとき書体の製作が既存の書体を前提としてその枠内で行われる限り、その創作性ないし芸術性は、ある程度限られたものにならざるを得ないが、そのことは、何ら新たに創作された書体の著作物性を否定する根拠になるものではない。

(二) 原告も、永年にわたって人材を集めて修練を積ませるとともに、多額の資金を投じて設備を整え環境を整備して、固さは幾分残るが躍動感あふれるきびきびした姿の自社独自の文字書体を製作してきた。そして、いまや、原告が製作した文字書体は、約八〇種にも及び、いずれもモリサワ書体として明瞭に他社のものと区別されている。本件書体も、こうしたなかで昭和四一年七月に製作され、東南アジア向けの写植機用文字盤に搭載されて市販されたものである。したがって、本件書体は、遅くとも右文字盤完成の時点で、本件原字全体に関する著作物として完成すると同時に、個々の本件各文字に関する著作物としても完成したというべきであり、原告は、右時点において、右両者に関する著作権を取得した。

(三) 右のように本件書体に著作物性を肯定することは、以下のような事実によっても支持される。

(1) 一つの文字書体を創作するについても、多くの労力と資本を必要とすることは、前記のとおりであり、活字書体は以前から一定の対価をもって取引されてきた。また、近時、写植書体をデジタル化して各種コンピューター組み込みの文書作成機器に搭載することが広く行われるようになったが、かかる場合には、当該写植書体の製作者ないし保有者に対し、使用許諾を求め、対価を支払ってライセンスを得ているというのが、業界の実情であり、慣習である。こうした点からすれば、他人が製作、保有している文字書体を、自己の営業のために使用する場合には、対価を支払うことが業界の慣習法として成立しているということができる。

(2) そして、「タイプフェイス保護及びその国際寄託に関するウィーン協定(仮訳)」の第八条は、その権利者に対し、権利者の同意を得ることなく複製物を作成すること及び複製物を商業的に頒布又は輸入することを禁止する権利を与えており、国内的にも、日本タイポグラフィ協会は、昭和五一年一〇月一五日、「タイプフェイスに関する倫理綱領」を発表して、権利保護手段の確立を求める姿勢を明らかにした。また、最高裁判所も、最近、第一、二審において文字書体に関する著作権等の権利主張が否定された事案において、あえて上告棄却の結論を出さず、文字書体の製作者の権利を尊重する趣旨の和解を成立させている(最高裁昭和五七年(オ)第八四一号事件、昭和五八年(オ)第七九九号事件)。これらのことは、いずれも文字書体を法的に保護すべきことを示しているといえる。

四  法的保護利益

仮に、以上の著作権に関する主張が認められないとしても、前記のとおり多大な労力と資本を投下し、しかも長年月をかけて製作される文字書体は、それ自体、貴重な無形資産である。文字書体の製作者が、その投下資本を回収しようとするのは、当然であり、法的にも保護されなければならない。他人の血のにじむような努力と創作活動の結晶である文字書体を、その者の同意を得ないで盗用模倣して自己の収益源とするような行為が許されてよいはずがない。文字書体の製作者ないし保有者は、その文字書体を他人に無断で使用されないこととこれに要した投下資本を回収することにつき、法的に保護されるべき利益を有しているというべきである。

五  被告の故意、過失

被告は写植機器の業界で営業を行うものとして、前記業界の実情を十分承知し、他社の文字書体を使用するに当っては、あらかじめ、当該写植書体の製作者ないし保有者に対し、使用許諾を求め対価を支払ってライセンスを得なければならないことを十分に認識していた。仮に、これを認識していなかったとすれば、右業界に身を置くものとしてあまりにもうかつであり、それ自体重大な過失である。

六  原告の損害

原告は、前記のとおり本件書体の文字を搭載した写植機を販売するほか、右文字を搭載した写植機用文字盤を単独で販売する営業も行っている。

しかるところ、被告は、前記のとおり本件書体を複写した被告書体の文字を訴外印機貿易に使用させることにより、一字当たり五〇〇〇円の割合による利益を得ている。

原告は、被告の右行為により、本訴対象文字二四一一字相当分合計一二〇五万五〇〇〇円相当の損害を被っている。

七  本訴請求

よって、原告は、被告に対し、原告が前記本件書体の文字のうち別紙書体一覧表下段記載の二四一一字につき著作権を有することの確認を求め、右著作権に基づき同表上段記載の二四一一字の使用禁止を求めるとともに、主位的に著作権侵害、予備的に不法行為を原因として前記損害金一二〇五万五〇〇〇円及びこれに対する著作権侵害又は不法行為以後の日で本件訴状送達の日の翌日である昭和五八年九月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の答弁)

一  請求原因一の事実のうち、原告が写植機用文字盤を組み込んだ写植機を販売していることは認めるが、その余の事実は、不知。

二  同二の事実は、認める。

三  同三1、2の事実のうち、被告書体が、文字職人十数人を擁する訴外華穏企業の手によって、昭和五四年一〇月から昭和五五年九月までの一年の間に製作されたものであること、原告主張のウィーン協定の存在、倫理綱領の発表及び和解成立の事実は認めるが、その余の事実は争う。

四  同四ないし六の事実及び主張は争う。

(被告の主張)

一  被告書体の盗作性について

原告が、被告書体の盗作性の根拠とするところは、いずれも、以下に述べるように、それ自体根拠にならないか、事実に反するものである。

1 写植用書体製作過程の実態

写植機は、印字を目的として昭和初期ころに開発されたものである。そして、写植用文字の使用は、まず、明朝体文字、ゴシック体文字等各種既存の印刷活字の清刷をカメラで撮影、複写したものをそのまま流用したり、印刷活字の文字を引き伸ばし墨を塗って一部手直しをして使用したりすることから始まった。その後、既存の印刷活字のデザインに飽き足らず写植用書体の製作が行われるようになってからも、既存の印刷文字と全く無関係に新たな書体が造られたわけではない。既存の文字書体を参考にしつつ、これを写植用文字として適するようにデザインし直していったというのが実情である。文字書体の製作、改良とは、もともとそのようなものであって、印刷活字の時代から、まず、既存のテキストとなるべき種字を模写、模刻し、これに少しずつ新しいデザインを補充、加味していくという方法によって行われてきた。文字書体の製作は、右のような「伝承」と「改良」の積み重ねであって、九〇パーセントの「伝承」と一〇パーセントの「改良」といわれるようなものである。写植用書体等実用的な文字書体の製作過程は、右のような意味で既存品の模写と多少の改良の繰り返しであり、既存の文字書体を参考にすること自体、何ら非難されるべきことではない。

2 写植用書体の創作範囲

写植用書体の製作、改良は、右のとおり既に印刷業界で広く使用されていた明朝体文字、ゴシック体文字等定型化、規格化された既存の文字書体を前提としてその枠内で行われるものである。したがって、写植用書体の製作者が、それぞれ独自に書体を製作するといっても、その創作の範囲は自ら限定されたものにならざるを得ない。右のような定型枠内で行われる創作の余地といえば、せいぜい、次のような点をどう工夫するかということに限られてくるというのが実態である。

(一) 横画・縦画等の筆の入れ方・止め方(うろこ)、点・長点の打ち方、打ち込み・打ち上げ等の形態や角度、曲げ、払い、止め、折れ・はね・かぎ・たすき・横流れ・しんにゅう等の運筆や末端処理その他のいわゆるエレメント

(二) 文字のバランス(基本画線の位置・長さや間隔のとり方等)

(三) 文字の大きさや横、縦等の比率

(四) 重心の位置や懐の深さ

なお、右のうち(二)以下は、文字の骨格に影響する問題であるため、前記定型枠の制約を強く受け、(一)と比較すると、その創作性の範囲は更に制限されることになる。

3 写植用書体の類否判断の基準

以上のようなことの結果、現に市場に存在する各社の写植用書体は、右の各要素とりわけ前記エレメントのわずかな相違によって相互に区別され、商品として共存している。その意味で、各社の写植用書体が、一見、「近似」していることは、むしろ当然であって、右の各エレメントが相違している以上、それは格別の意味を持ち得ない。

こうした点からすれば、本件書体のような写植用書体の類否判断は、右のような各エレメントの類否判断を中心にして行われるべきである。

4 本件書体と被告書体の類否

しかるところ、本件書体と被告書体の間には、以下に述べるようにエレメントや文字のバランス等について数多くの相違点が認められる。被告書体が本件書体を機械的に複写したようなものでないことは明らかである。すなわち、

(一) 被告は、本件書体と被告書体の類否判断のため、原告が本訴提起当初問題にしていた別紙書体一覧表記載の文字を含む合計二五八六文字について、①書き出し部分の筆の入れ方の違い、②筆の止め方の違い、③線の太さ・長さの違い、④曲線(カーブ)の半径及び角度(長さ)の違い、⑤部首とつくりの一部やバランスの違い(部首とつくりの一部分しか重ならない)、⑥文字全体のバランスの違い(文字が全く重ならない)、以上六点について対照作業を行った。その結果、そのすべてが書体を構成する何らかの要素において一致せず、形状において同一といえる文字は一例も存在しないことが判明した(乙第五、第六号証の各一ないし六)。その結果をまとめると次のとおりである。

(1) 明朝体一二二七字

例数 百分比

①筆の入れ方の違い 九三二 76.0

②筆の止め方の違い  一二  1.0

③線の太さ・長さの違い       七六七 62.5

④曲線(カーブ)の半径及び角度(長さ)の違い  七〇  5.6

⑤部首とつくりの一方が重ならない  三八二 31.1

⑥文字全体が重ならない        七〇  5.7

(2) ゴシック体一三五九字

例数 百分比

①筆の入れ方の違い  三九  2.9

②筆の止め方の違い  二二  1.6

③線の太さ・長さの違い      一三五九 一〇〇

④曲線(カーブ)の半径及び角度(長さ)の違い  三五  2.6

⑤部首とつくりの一方が重ならない  二六三 19.4

⑥文字全体が重ならない        六五  4.8

(二) そして、被告書体が、本件書体を機械的に複写しこれにわずかな修正を加えたようなものではあり得ないことを、別紙(二)文字対照表記載の文字(明朝体一〇字、ゴシック体九字。上段が被告書体の文字、下段が本件書体の文字である。)によって例証すると、次のとおりである(なお、以下の事実は、別紙書体一覧表にある文字をそのまま二倍に拡大したポジフィルム―乙第八号証の一ないし一〇―を、これを焼き付けた印画紙―乙第九号証の一ないし一〇―の文字の上に重ねてみることにより確認することができる。)

(1) 筆の書き出し、止め部分等で、形が異なり、あるいはその大きさが本件書体の文字を下回る例

明朝体   透、従、職、毎、音、旧、暫、疫

ゴシック体 掌、洛、諳、塹、堪、堡、烽、舞

例えば、明朝体の「音」の字をみると、被告書体の文字の方が、まず一画目の筆の入りが小さく、三画目、四画目の斜めの点が細長く、二画目、五画目、六画目や七画目の途中の筆の止め方などが小さくなっており、結局、すべてのポイントにおいて逆に本件書体の文字の方が加筆墨入れをしたような格好になっている(「従」の字をみても、これらの関係はよく分かる。)。

ゴシック体の場合でも、例えば「洛」の字をみると、本件書体の文字に比べ、筆入れ部分の両角がとがっており、折れ角も丸みが無いなどの相違があり、かつ、大半が大きさにおいて本件書体の文字のそれを下回っていて、右の明朝体の場合と基本的に同様の関係を指摘することができる。

(2) 横線、縦線その他の線で、長さ、太さが本件書体の文字を下回る例

明朝体   透、職、毎、音、巨、旧、暫、疫

ゴシック体 掌、洛、諳、塹、堡、舞

例えば、明朝体の「旧」の字や「巨」の字をみると、被告書体の文字の方が横線がいずれも短くなっている(これは、横線をもつすべての文字に共通することである。)。ところが、明朝体は、棒一本といえども、すべて筆の入れと止めを伴っているから、これを縮めるにせよ伸ばすにせよ、原告が主張するような複写と墨入れの方法によってこのような文字を製作することは、不可能である。

(3) 斜線、曲線のとり方、とりわけ斜線の角度や曲線の曲がり具合(カーブ)が異なる例

明朝体   透、従、職、毎、疫、文

ゴシック体 掌、堡、烽、舞、喩

例えば、明朝体の「疫」の字をみると、各点や線の筆の入れ方、止め方(抜き方)や横線の長さなども異なっているが、とりわけ「几」や「又」部分の曲線を入れる位置やカーブの具合が全く異なっている。被告書体の文字は、本件書体の文字に比して「」の横線(字の横線)が短いのに対し、「」の中は右上から左下への曲線を縦長にとって、特徴的な字形を形造っている。こうしたことは、墨入れによる修正などでは不可能なことであり、別途書き直す以外に方法のないものである。

(4) 文字のうち、とりわけ部首とつくりの一方について、文字を構成する各点、各線の位置関係が異なり、横線、縦線のバランスが異なる例

明朝体   透、毎、旧

ゴシック体 洛、諳、烽

例えば、明朝体の「毎」の字をみると、一見「」の部分が同一のように見えるが(実は、筆の入れ方、曲線のカーブ、太さ、長さや横線の長さ等が異なっている。)、部首の「母」が、一画目前半、三画目の各斜線の角度、一画目後半、四画目の各横線の位置、二画目後半の曲線のとり方、はね方その他において明瞭に異なっている。また、右「」との位置関係(間隔等)も異なっていて、とりわけ、部首とつくりの一方の食い違いが目立つ結果になっている(厳密には、全体が重なっていない。)。

ゴシック体の「烽」の字も同様で、つくりの「」が一見同一のように見えるが(実は、筆の止め方、筆の入れ方等が異なる。)、部首の「火」が曲線のとり方(カーブ)や点の打ち方で明瞭な違いを見せている。

このような相違は、同一文字の機械的複写と墨入れによっては、絶対に生じ得ないことである。

(5) 文字を構成する各点、各線の位置関係が異なり、あるいは横線、縦線とのバランスが異なるため、文字が全体として重ならない例

明朝体   従、職、音、巨、暫、疫、文

ゴシック体 洛、塹、堪、堡、舞

例えば、明朝体の「暫」の字をみると、その構成部分のうち「車」をとっても、「斤」をとっても、また、「日」をとっても、いずれも横線、縦線、曲線の位置(間隔)や長さ、太さ、さらには、筆の止め方等が異なっていて重ならず(線は一般に被告書体の文字の方が細く短い。)、その相互の位置関係もまた異なる。そのため、右各構成部分のどれを基準として重ね合わせてみても、文字が全体として重ならない。

ゴシックの「堡」の字も同様で、「イ」の部分をとっても、「呆」の部分をとっても、また、「土」の部分をとっても、それぞれ横線、縦線の位置(間隙)や曲線のとり方、各線の筆の入れ方や長さ、太さ等が異なってそのいずれもが重ならない。したがって、全体としての重なりも認められない。

このようなことは、同一文字の機械的複写物にどのように墨入れを重ねても、絶対に生じ得ないことであり、この文字がまぎれもなく別に書き起こされたものであることを示している。

(三) また、原告は、被告書体の文字の中には、本件書体の中にある誤字がそのまま採り入れられており、それが被告書体の盗作性を物語る何よりの証拠であるという。しかし、原告が誤字であるという文字も、現に使用されたり各種辞典に掲載されたりしている文字であって、決して誤字ではない。すなわち、

(1) この点を検討するに当たっては、まず、(イ)漢字は、長い歴史の中で、次第に発展、改良されてきたものであり、その字体(骨格)といえども必ずしも不動のものではないこと、現に中国や日本で用いられている文字のなかには、同一の文字でありながら字体(骨格)に違いのあるものがあること、(ロ)印刷活字の文字は、もともと筆写の楷書体文字を基本として造られたものであるが、それを印刷に適するように設計(デザイン)し直したものであるため、前記各エレメントとりわけ画線の長短、曲直、点画の組合せ等の点において、筆写文字との違いが生じていること、(ハ)その違いは、毛筆の特徴を極力生かすように設計された明朝体の印刷活字よりも、専ら印刷に適するようにということを念頭において設計されたゴシック体の印刷活字において、より顕著に現われていること、(ニ)そして、同じ印刷活字相互の間においても、活字設計上の表現の差(デザインの差)があること等が留意されなければならない。これらのことは、各漢字の字体(骨格)の相違例を収集編纂した書道大字典(乙第二〇号証の一ないし七)や漢字使用に関する日本政府の統一見解を示した昭和五六年内閣告示第一号「常用漢字表」(乙第二四号証)等によって確認することができる。

(2) 以下、右のことを前提として原告が指摘する各文字について、順次、検討する。

(イ) 「墾」(明朝体)について

前記書道大字典(乙第二〇号証の一ないし七)によって、「墾」や「墾」の字の左上部分をみると、もともと歴史的字体例として、「豸」(原告のいう正字)のほか、「豸」(原告のいう誤字)や「」等があったことが分かる。また、新字源(乙第二一号証の一ないし五)でも、「墾」や「墾」の字の左上部分は「豸」であって、「豸」でないといえる。そして、これらのことを、前記「常用漢字表」(乙第二四号証)の「字体についての解説」にならっていえば、印刷活字相互間の問題としては、活字設計上の表現の差すなわちデザインの違いに属するものであるといえる。また、筆写文字との関係では、点画の組合せ方に関するものであり、手書きと印刷のそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差とみるべきものであるといえる。いずれにせよ、原告がいうような誤字ではない。

(ロ) 「懃」(ゴシック体)について

この「懃」の字についても、前記書道大字典(乙第二〇号証の一ないし七)によれば、もともと歴史的字体例としては、「懃」(原告のいう正字)ではなくむしろ「懃」(原告のいう誤字)の方が多かったことが分かる。また、原告が援用する康煕字典でも、解説文の中では「懃」の字が使用されている(乙第二二号証の一ないし三)。これまた、誤字といえるものではない。

(ハ) 「嚀」(ゴシック体)について

「嚀」は、「寧」の俗字である。そこで、「寧」について、前記書道大字典(乙第二〇号証の一ないし七)をみると、ここでも歴史的字体例としては、「寧」(原告のいう正字)ではなく、むしろ「寧」(原告のいう誤字)の方が多かったことが分かる。また、新字源(乙第二一号証の一ないし五)や角川漢和中辞典(乙第二三号証の一ないし五)及び新選漢和辞典等でも「寧」ではなく「寧」の字が用いられている。そして、原告が援用する康煕字典でも、解説文の中では明らかに「寧」の字が使用されている(乙第二二号証の一ないし三)。さらには、他社においても、ゴシック体文字として「寧」の字を用いている例がある(乙第二七号証の一五)。これも、誤字といえるものではない。

(ニ) 「傲」(ゴシック体)について

前記書道大字典(乙第二〇号証の一ないし七)によれば、「傲」の字の中央上部は、もともとは「主」であって、その横線の一画目が長い例と短い例に分かれていたことが分かる。したがって、これを簡略化した「」において、「士」や「土」に分かれることは当然に考えられる。しかるところ、中華民国政府教育部が公布した「常用國字標準字體表」(乙第二六号証の一ないし三)は、「傲」(士)を採用している。また、前記角川漢和中辞典(乙第二三号証の一ないし五)や改訂新潮国語辞典等でも、「傲」(土)ではなく「傲」(士)が用いられている。そして、他社においても、ゴシック体文字として「傲」の字を用いている例がある(乙第二七号証の一五)。これを誤字とする原告の主張は、失当である。

(四) 次に、原告が、原告の報告書(甲第一二号証)を援用して、被告書体の文字の中には、本件書体の文字の中の均衡のとれていない文字がそのまま採り入れられているというのも適切でない。その中で、頭や終筆部の長過ぎ・出過ぎ、部首やつくりの上がり過ぎ・下がり過ぎ、部首とつくりの接触、中心が合っていない、直線が斜めになっている等と指摘されているところは、結局は、いずれも、前記「常用漢字表」(乙第二四号証)の「字体についての解説」において、活字設計上の表現の差、デザインの違いに属する事柄であるとされていることであり、本件書体の文字に特有の特徴ではない。同様な特徴は、他社の文字にも数多くみられるところである(乙第二七号証の一ないし一五)。原告の主張は、要するに、例えば、本件書体の文字で部首やつくりが接触したものがあると、被告書体の文字でも同様に接触したようになっているから、被告書体は本件書体を真似したものに違いないということである。しかしながら、かかる観点からいえば、逆に、本件書体の文字では接触しているのに被告書体の文字では離れていたり、本件書体の文字では離れているのに被告書体の文字では接触しているものも数多くみられる。試みに、別紙書体一覧表記載の文字を点検、通覧してみると、右のような特徴を持つものとしては、明朝体文字だけをみても、燭、道、御、鮮等八〇字余りを指摘できる。原告が、右報告書(甲第一二号証)に挙げられた七〇字余りの文字だけを取り上げ、そこにみられる特徴が、本件書体の文字に特有な特徴であり、かつ、本件書体及び被告書体の文字全体を通じる特徴であるかのようにいうのは、誤りである。原告主張のような事実をもって、被告書体の盗用性を裏付けることはできない。

(五) さらに、原告が、訴外モリサワ文研の文字書体の対比結果報告書(甲第八号証)や検証物(検甲第一ないし第一三号証の各一、二)によって、被告書体の文字が本件書体の文字にピタリと重なり合うことを確認することができるというのも、事実に反する主張である。本件書体の文字と被告書体の文字の間に全く同一といえる文字のないことは、前記(一)において述べたとおりである。そして、前記(二)において、具体例を挙げてこれを例証した。また、右訴外モリサワ文研の報告書(甲第八号証)自体、ピタリと一致するなどとはいっていない。むしろ、調査対象文字を複写するときの太りあるいは細りといえるようなわずかなものであるとしながらも、両者の縦幅、横幅に差のあることを認めている。原告の右主張は、事実に反する主張である。

二  本件書体の著作物性について

1 本件書体は、実用的な印字を目的として写植機に搭載された一組の実用文字(約八六〇〇字)に関するものである。このような実用文字の書体の製作、改良は、これによって製作者の思想、感情を表現しようとして行われるものではない。写植機の機能改善とともに、あるいはその品質向上の一環として行われるものであり、あくまでも所期の印字を得るための実用目的のものである。

そして、このような写植用書体の製作、改良が、既存の定型化、規格化された文字書体を前提としてその枠内で行われるものであること、したがって、写植用書体の製作者が、それぞれ独自に書体を製作するといっても、その創作の範囲は、縦画や横画の筆の入れ方、止め方等各種エレメントをどう工夫するかというような限定されたものにならざるを得ないこと、現に市場に存在する各社の写植用書体は、右各種エレメントのわずかな相違によって区別されていること等は、既に述べたとおりである。

しかるところ、原告は、右一組の文字の中に含まれる明朝体文字、ゴシック体文字のそれぞれについて統一性ある書体を完成した旨主張している。そして、このような一組の文字についての書体とは、一つ一つの文字にみられる個性や特徴そのものではなく、少なくとも、これら明朝体文字なら明朝体文字、ゴシック体文字ならゴシック体文字全体をそれぞれ通覧した場合に、その共通項として指摘できる特徴的な創作要素であるというべきである。したがって、原告が、本件書体について原告独自の創作性を主張するのであれば、これらの文字全体に共通し、かつ、同種他社の写植用書体にはない本件書体に特有の特徴的な創作要素を具体的に明らかにすべきである。

しかるに、原告が、本件書体の特徴として主張するのは、それが、中明朝体や中ゴシック体の中に入るもので比較的古い作り方をしたものであるとか、点や左払いが鋭い、エレメントの組合せが深い等というようなことだけである。しかし、右のような中明朝体や中ゴシック体に属するというようなことは、歴史的な類型分類に関することであって、本件書体の特徴的な創作要素の説明としてはあまり意味のないことである。また、点や左払いが鋭い、エレメントの組合せが深い等ということも、本件書体の特徴的な創作要素の説明としては不十分である。現存する各社の写植用書体の中には、そのようなエレメントにおいて「鋭い」あるいは「深い」といった特徴を持つものは、本件書体以外にも数多くある。そして、そこでは、「鋭い」は「鋭い」なりに、「深い」は「深い」なりに、それぞれ種々な工夫が凝らされている。したがって、原告が真に原告独自の創作性を主張したいのであれば、原告は、これらのものと区別できるように、具体的に、かつ明確に本件書体の特徴的な創作要素を主張すべきである。著作権発生の要件事実である創作の事実関係と創意工夫の内容を明らかにしないまま、本件書体の著作物性を主張しても、無意味である。

2 ところで、我が国の著作権法は、その二条一項一号において「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を著作物とする旨定義し、同条二項において「美術の著作物」には美術工芸品を含むと規定している。そして、我が国では、著作権法の根本趣旨や意匠法等工業所有権制度との関係を考慮し、美術に関連するもので著作権法で保護されるのは、美術工芸品を別とすれば、純粋美術に属するものに限られる、図案やひな形等いわゆる応用美術の範囲に属するものはこれに含まれないと解するのが一般である。著作権法は、本来、一品製作的なものを保護の目的としていると考えられる。しかるところ、本件書体のような実用文字の書体は、それ自体で思想又は感情を表現したものとはいえないし、文芸、学術、美術、音楽のいずれの範囲に属するものともいえない。美術工芸品といえないことも明らかである。強いていえば、写植機ないし写植機用文字盤という実用品と結合したデザインであり、いわゆる応用美術の範囲に属するものであろうが、こうしたものが著作権法の保護の対象にならないと解されていることは、右のとおりである。本件書体は、もともと著作権法の保護の対象になるものではないといわざるを得ない。

のみならず、文字というものは、元来、人が何千年何万年という歴史を経て形成してきたもので、いわば万人共有の財産である。その文字の書体について、独占的排他的な権利である著作権を認めることは、文字には不可欠の書体という問題を通して、その特定人に文字そのものを排他的に独占させ、他人の使用を法的に排除してしまう結果を招来し、法的にみて、到底、妥当な結論とはいえない(最高裁第一小法廷昭五五・一〇・十六判決)。この点からみても、原告の主張は失当である。

三  法的保護利益について

原告が本件書体について法的保護を受けようというのであれば、少なくとも、原告が本件書体を製作したことによって取得した法的保護利益の内容、いい換えれば、原告自身が本件書体を製作することにより新しく創作したものは何なのか、その具体的内容を明らかにしなければならない。そのことは、前記二において述べたとおりである。これを明らかにしないまま、単に、著作権法による保護が認められないときには、不法行為法による保護を求めるといっても無意味である。

四  損害について

被告が訴外印機貿易から支払を受けた一字当たり五〇〇〇円の割合による金員は、原告がいうような単なる文字の使用料ではない。それは、被告が訴外華穏企業に支払った文字の製作代金のほか、これをベクトル分解のため米国のCG社に送った時の費用等被告システムに搭載するために要した費用すべてを勘案して設定された金額である。このような金額を基に原告の損害を算定するのは不当である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因一(原告による書体の製作と営業)のうち、原告が写植機用文字盤を組み込んだ写植機を販売していることについては争いがなく、〈証拠〉及び別紙書体一覧表並びに弁論の全趣旨によれば、その余の事実(ただし、原告主張の文字盤に搭載された文字数については、少なくとも約六八〇〇字を下らないとする。)を認めることができるというのが相当である。

二同二(被告による書体の製作と営業)については、争いがない。

三そこで、以下、同三(被告による著作権の侵害)について検討する。

1  被告書体の盗作性について

(一)  (イ)本件書体の文字は、もともと原告が台湾等東南アジア向け写植機用文字盤に搭載した文字であり、被告書体の文字は、被告が台湾の業者である訴外華穏企業に依頼して製作させた文字である。そして、別紙書体一覧表記載の被告書体の文字と本件書体の文字(いずれも約二センチ五ミリ角の大きさの文字である。)を一見すると、よく似ているという印象を受ける。(ロ)しかるところ、前掲森澤証人の証言によれば、原告の方で、五五〇〇字ないし六〇〇〇字を一組とした文字について統一性のある新しい書体を製作するためには、少なくとも二年を下らない年月を費やしているものと認められる。ところが、被告書体の文字が、昭和五四年一〇月から昭和五五年九月までの一年間に、文字職人十数人の訴外華穏企業の手によって製作されたことについては、争いがない。この被告書体の文字の製作期間は、右原告の製作期間に比して、格別に短いということができる。(ハ)また、被告書体の文字のうち、原告が指摘する「墾」、「懃」、「嚀」、「傲」の各文字の字体(骨格)が、誤字かどうかは別として、本件書体の右各文字のそれと同じであることは、原告主張のとおりである。(ニ)さらに、前掲甲第一二号証によれば、被告書体の文字の中に、原告が均衡がとれていない構成であるという本件書体の文字と同じような特徴を持った文字が七〇字余り含まれていることも、原告主張のとおりであると認められる。そして、右甲第一二号証によって右七〇字余りの文字をみる限り、被告書体の文字は、原告が指摘する点において、本件書体の文字のそれとほとんど同一の特徴を示すのに対し、他社の同種書体の同一文字との間にはそれ程の共通性は認められない。(ホ)なお、本訴対象の被告書体の文字と本件書体の文字の間には、後記のような相違点が認められるが、右相違点は、別紙書体一覧表のような形で対比してみた場合、いわゆる素人にとってはもちろん、文字書体の製作に関与している専門家というべき者にとっても、一見して明らかという程の大きなものではないと考えられる。以上のような点からすれば、被告から文字の製作を依頼された訴外華穏企業が、被告書体の文字の製作にあたり、何らかの形で本件書体の文字を参考にしたのではないかと疑う余地は十分にあるということができる。原告が、被告書体の文字は本件書体の文字を複写したものであると考えるのも、全く理由のないことではないと思われる。

(二)  しかしながら、他方、以下のような事実も認められる。(1)まず、被告は、被告書体の文字と本件書体の文字の類否判断のため、本訴対象文字を含む二五八六字について、筆の入れ方、止め方等六つの点について検討した結果、被告書体の文字と本件書体の文字の間には同一といえる形状のものはないことが分かった旨主張し、その例証として別紙(二)文字対象表記載の文字を挙げる。しかるところ、本件証拠上、右二五八六字全部について、右被告主張の事実を確認する証拠はないが、〈証拠〉によれば、少なくとも、被告が例に挙げる別紙(二)文字対照表記載の文字のほか数個の文字については、被告書体の文字と本件書体の文字の間に、被告が主張するような相違点があることが認められる。そして、上記被告の主張が事実に反するものであることを明らかにする証拠はない。そうすると、被告書体の文字と本件書体の文字の間には同一といえる形状のものはなかったとする右被告の主張には、一概に排斥できないものがあるというべきである。(2)そして、前記(一)の各点については、以下のようにいうことができる。(イ)まず、被告書体の文字と本件書体の文字から、一見、よく似た印象を受けることについては、〈証拠〉と別紙書体一覧表並びに弁論の全趣旨によれば、本件書体は、一般の実用的な印字を目的とする写植機に搭載された一組の実用文字に関するものであること、このような実用文字の書体の製作は、「伝承」九〇パーセント、「改良」一〇パーセントといわれることがあるように、印刷活字等既存の定型化、規格化された文字書体を前提として、その枠内で行われるのが通例であること、そして、そのような場合の書体の創作範囲は、自ら、縦画や横画の筆の入れ方、止め方、横線、縦線の太さないしその線率等被告が指摘するような点に限定されたものにならざるを得ないこと、本件書体も右のような制限の枠内で製作されたものであり、その例外ではないこと、また、被告書体の文字も、被告システムに搭載された実用目的の文字であり、右のような制限の枠内で製作されたものであること、以上のような事実を認めることができる。そして、こうした事実を参酌すると、本訴対象の被告書体の文字と本件書体の文字が、一見、類似した印象を与えるからといって、直ちに、被告書体の文字が本件書体の文字を複写したものであると速断することはできない。より子細な検討が必要である。(ロ)また、被告書体の製作期間が、原告のそれに比して格段に短いということについては、文字の製作工程ないし期間が原告主張のもの以外にはあり得ないことを認めさせるに足る証拠はない。そうすると、被告書体の製作期間が短いということも、右複写の事実を認めさせるに十分なものとはいえない。(ハ)次に、「墾」、「懃」、「嚀」、「傲」の各文字の字体(骨格)が同じであるという点に関しては、〈証拠〉によれば、原告が誤字であるという右各文字の字体(骨格)は、本件書体の文字にだけみられる特殊なものではなく、こうした字体(骨格)の文字が各種辞典等で使用されている例があることは、被告主張のとおりであると認められる。右字体(骨格)の文字を、本件書体の文字特有の誤字であると断じることはできない。そうすると、右各文字の字体(骨格)が同一であることも、被告書体の文字が本件書体の文字を複写したものであることの決定的な証拠になるとはいえない。(ニ)さらに、被告書体の文字の中には、本件書体の文字と同様の不均衡な特徴を持つ文字が七〇字余り含まれているということに関しては、〈証拠〉によれば、本訴対象の被告書体の文字の中には、そうした同じ特徴を持つ文字が含まれている反面、被告が指摘するように、部首やつくりの接触に関して、本件書体の文字のそれと反対の特徴を示す文字が八〇字余り含まれていることも事実であると認められる。そうすると、右の被告書体の文字の中に本件書体の文字と同じような特徴を持つ文字が七〇字余り含まれているということも、それだけでは、被告書体の複写性を裏付けるに十分なものとはいえない。

(三)  以上、(一)、(二)に判示してきたところを総合考慮すると、前記(一)に判示したような事実は認められるにしても、右(二)に判示した事情を参酌すると、被告書体の文字を、本件書体の文字を機械的に複写したものであるとまでは断定できない。

2  本件書体の著作物性について

以下、右1の認定、判断を前提として、本件書体の著作物性について検討する。

(一)  我が国の著作権法は、その二条一項一号において「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を著作物とすると定義し、同条二項において「美術の著作物」には美術工芸品を含むと規定している。そして、これについては、著作権法の制定経過や意匠法等工業所有権制度との関係等を考慮し、美術に関連するもので著作権法で保護されるのは、純粋美術に属するものや美術工芸品であって、図案やひな形等実用品に関するものでいわゆる応用美術の範囲に属するものは、原則として、これに含まれない、実用品に関するもので保護されるものがあるとしても、それは一品製作的なものに限られると解するのが一般である。

しかるところ、本件書体が、一般の実用的な印字を目的とする写植機に搭載された一組の実用的な文字に関するものであること、こうした実用的な文字書体の製作は、印刷活字等既存の定型化、規定化された文字書体を前提として、その枠内で行われるのが通例であることは、前示のとおりである。

(二)  そこで、右のような点を参酌して考えると、本件書体のような文字の書体であって、なお、著作権法の保護の対象になるものがあるとすれば、それは、当該文字が持っている本来の情報伝達機能を失わせる程のものであることまでは必要でないが、当該文字が本来の情報伝達機能を発揮するような形態で使用されたときの見やすさ、見た目の美しさだけでなく、それとは別に、当該書体それ自体が、これを見る平均的一般人の美的感興を呼び起こし、その審美感を満足させる程度の美的創作性を持ったものでなければならないと解するのが相当である。

(三)  そして、本件書体については、それが製作される以前からあった他者製作の同種印刷活字文字や写植用文字等の書体に比して、どこがどのように異なるのか、本件原字全体、少なくとも、その明朝体文字なら明朝体文字、ゴシック体文字ならゴシック体文字全体を通覧した場合に認識できるそれらの文字に特有な創作的デザイン要素は何なのか、その創作性の内容を具体的に確定できるだけの資料はない。しかし、別紙書体一覧表に記載されている本件書体の文字を通覧しただけでも、本件書体が、実用性の強いものであって、右にいう程度の美的創作性を有しないものであることは、明らかである。本件原字全体及び本件各文字、いずれについても、原告主張のような著作物性を認めることはできないというほかはない。

四そこで、次に、請求原因四(法的保護利益)について検討する。

1  〈証拠〉によれば、本件書体のような実用的な文字の書体についても、その製作者は、これをよりよくその実用目的に適したものにするために、あるいはより見やすく美しいものにするために等様々な観点から、創意、工夫を凝らし、新しい書体の製作や改良に努めていること、こうした書体の製作や改良の作業には、多くの労力と時間、そして費用を要すること、そのため、原告が所属する写植業界等では、他人が製作した書体の文字を使用する場合には、その製作者ないし保有者に対し、使用についての許諾を求め、更に対価を支払うことも、かなり広く行われるようになってきていること、以上のような事実を認めることができる。

2  右のような事実を参酌すると、前記判示の著作物性の認められない書体であっても、真に創作性のある書体が、他人によって、そっくりそのまま無断で使用されているような場合には、これについて不法行為の法理を適用して保護する余地はあると解するのが相当である。

3  しかしながら、本件の場合、本件書体の創作性の内容が必ずしも明らかでないことは前示のとおりである。また、既に判示したところに照らすと、被告書体の文字も本件書体の文字も、いずれも前示のような一定の枠内で製作されたものであるから、その書体が、ある程度、似ているように見えるのは仕方のないことであると考えられる。ところが、被告書体の文字と本件書体の文字との間にいくつかの相違点がみられることも、前示のとおりである。こうしたことを総合考慮すると、一見、被告書体が、本件書体に似ていることは否定できないとしても、だからといって、直ちに、これをそっくりそのまま流用したものであるとまで断じることはできない。そして、他に、不法行為の法理を適用すべき理由は認められない。そうすると、原告のこの点の主張も理由がないというほかはない。

五結論

以上によれば、原告の本訴請求は、いずれもその余の点の判断に及ぶまでもなく理由がないというべきである。よって、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上野茂 裁判官小松一雄 裁判官青木亮)

別紙(一)

別紙(二)

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